2011年1月25日火曜日

CBCP司牧書簡「現在の政治状況について司牧声明」 2003年9月1日

PASTORAL STATEMENT ON THE PRESENT POLITICAL SITUATION

政治の過剰、誤用による行政の停滞を批判する教書である。特に過剰な権力闘争と足の引っ張り合い、そして汚職の問題に警告を発し、政府がこうした問題の克服のためにイニシャティブを取ることを励ましている。問題の根底にあるのは個人的な、また政治的な道徳性の欠落という罪の問題であり、これと対決しなくてはならないし、教会もその点で、過ちがある点で例外ではないし、教会もこの問題に力をあわせて取り組みたい、とする。

最後に1991年の第2フィリピン教会会議の文書からビジョンを引用して終わっている。「道徳の諸原則が社会経済生活・構造において卓越する自由な国、正義、愛、団結が開発の原動力となる国・・・国民であることが参加への呼びかけであり、関与と指導性が寛大な奉仕への召集であるような主権国家・・・」

次年度の選挙に先立つ政治家たち、そしてマスメディアの動きが背景にあると考えられる。2001年1月の政変で副大統領から昇格した当時のマカパガル=アロヨ大統領は、一度は出馬しないことを約束しながらそれを反故にしており、その大統領の身辺には既にいくつかの疑惑が浮上していた。そのような中で、政変で放逐される形になったエストラーダ元大統領派のフェルナンド・ポー(FPJ)候補の優勢が伝えられる中、政争絡みの様々な情報が乱れ飛ぶ状況が背後にあった。

2004年選挙は、プロテスタント福音派(ボーンアゲイン)の「ジーザス・イズ・ロード運動」の指導者ブラザー・エディ(・ビリャヌエバ)が道徳の刷新を掲げて大統領に立候補し一定の話題を集めるなど、政治の浄化刷新が、宗教的な刷新と重ねあわされるような仕方で語られる雰囲気が少なからずあった。

しかしそれもあくまでことの一面である。同時に政治経験が乏しくエストラーダ派の実力者による腐敗した政治の導入が懸念されるFPJの当選の可能性が大きいことに危機感を抱いた人々は、中間層やビジネス界に少なからずいて、FPJだけは避けたい、という人たちの中には、腐敗の疑いはあってもアロヨ再選の方がまし、という声を上げる人々も少なからずいた。

その中で振り返ると、当時の教会はまだ2001年の政変を「ピープルパワー」として肯定的に捉える雰囲気を残していて、道徳刷新を掲げてはいても本音としてはFPJよりアロヨのほうがまし、というところに落ち着いていたのではないかと思われる。2004年の選挙に関して、開票にかなり時間がかかっていたにもかかわらずカトリック司教協議会が早々にアロヨの勝利を認めてしまったことはそのことをよくあらわしている。2005年に選挙操作問題が浮上したときに教会が今ひとつ積極的にアロヨ大統領の辞任要求に徹し切れなかったのも、そのあたりがあるのかもしれない。

そう考えると、この短い声明も、かなりの程度建前の文書であるのでは、と考えながら読むのが適切ではないか。