2011年4月9日土曜日

CBCP司牧声明 「緊急平和アピール」 2003年3月10日

URGENT APPEAL FOR PEACE (A Pastoral Statement on Peace)

当時目前に迫っていたイラク戦争の正当性を否定し、戦争が短期的に事態を解決するように見えても憎しみを増幅するために却って平和を阻害することを警告し、戦争を起こさないように訴えている。

アメリカとその同盟国に対しては予防戦争を引き起こさないよう、平和的手段をとるよう訴えている。

イラクに対しては、国連の諸決議を順守し、軍備に関して透明性を増すよう訴えている。

フィリピン政府に対しては、長年の内戦状態を踏まえ、反乱諸勢力との和平交渉を進めるよう訴えている。

新人民軍=フィリピン共産党=民族民主主義戦線に対しては、和平交渉のテーブルに着くよう訴えている。

モロ・イスラム解放戦線に対しては、民族自決要求に対し理解を示しつつも、破滅的な結果を生んできた武装闘争に訴えることをやめ、和平交渉を進めるよう訴えている。

罪なき者の殺害をたくらむ者たちに対して、テロは不道徳であるとともに、目的を果たすのに有効な手段ではない、と主張している。

カトリック信徒に対してのアピールが最も長い。平和の主であるイエス・キリストと聖母マリアを覚え、ミサや祈祷集会、ロザリオの祈り、黙想祈祷会などをもって平和を覚え、祈るよう訴えている。

カトリック以外の宗教の人々に対しては、共に力を合わせて平和を築いていこうと訴える。

そして最後に、これらのアピールを、イエス・キリストと聖母マリアの手にゆだねている。

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総花的でルーティーン的な印象を受ける。独自性のある洞察や、積極的な活動計画などは見られない。カトリック教会が基本的に戦争に反対で、平和アピールをしていることは分かるが、その影響力や効果への考慮が見られない。アピール自体はそれなりに真剣なものではあるにせよ、それ以上のものではないように思える。

CBCP司牧書簡 「賭博を撲滅せよ:賭博は道徳的・社会的な癌」 2003年3月10日

ERADICATE GAMBLING: IT IS MORAL AND SOCIAL CANCER (A Pastoral Statement on Gambling)

ちなみに、この文書と次の文書はそれ以前に私が言及したものと分けられている。

時期や内容を考えると、それ以前のものは1月と7月の定例会合(Plenary Assembly)などで正式に詰められた文書であると考えられる。それに対して残りの2つは司教協議会の議長(ここではコタバト大司教のオルランド・ケベド)の判断で出された随時の声明であると考えられる。但し、文書自体は別段カテゴリー分けされずに整理されており、後の時代に読む際には一緒に読まれることになるから、この区別はあまり重要ではなくなると思われる。

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賭博の蔓延を非難し、克服を訴える文書である。

賭博の問題は、勤勉・誠実・正義・良心といった道徳的価値を破壊すること、そしてこれが社会において組織的な形で合法性を軽んじた形でそのお金の流れなども秘密裏なまま蔓延するために、社会全体を不法な形で腐敗させることにある、とする。また、貧しい人々を食い物に賭博経営者たちが莫大な利益を得ることも不道徳極まりないとする。

結論として組織的な賭博一般を非難し、特に非合法賭博の合法化への動きを糾弾している。政治家たちの自制を求めると共に、違法賭博フエテンとの対決で特に知られるようになったオスカー・クルス大司教(当時はリンガイェン=ダグパン大司教区、現在は教区活動からは引退)がリーダーシップを発揮しているNGO「フエテンと対決する民衆のクルセード」(Krusadang Bayan Laban sa Jueteng)のような働きを支援するように促している。

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その蔓延ぶりで知られる違法賭博「フエテン」は、エストラーダ大統領の2001年の放逐過程の弾劾裁判でも、その上納金を受け取ったとの疑惑が重要な問題となっていた。これに対し、政治的にはフエテンをそのまま押さえ込むのは困難であり、合法化することで可視化しやすくし、またその収益の一部を福祉に役立てる、という提案が出されるようになって来た。これに対し、カトリック教会指導層はほぼ一貫して賭博の不道徳性を訴え、フエテンの徹底的な取締りを主張している。

しかし、そうした中で、聖職者を含む教会関係者も賭博と無縁でないことが指摘される。
1)教会系の福祉活動が政府の合法賭博機関の資金的な支援を受けている
2)フエテン運営に関わっている人々から教会に多額の献金がある
3)末端の教会指導者の中にはフエテン関係者と親しい人たちも少なくない
4)素朴に賭博系のゲームを娯楽として楽しんでしまう聖職者がいるという報道もある
などの中で、教会指導者の多くは(クルス大司教のような例外もあるが)この問題については結局歯切れの悪い態度になってしまう。

ともあれ、カトリック教会にとって、賭博は原則的に絶対ダメなものであり、だから公文書でもその建前を前面に掲げることになっていることが、この文書でも確認できる。

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もう一点、この教書の中から気になる点を指摘したい。

「労苦して得たお金を手に、貧しい人々は日々安易にお金が手に入るという賭博の空しい誘いに惹かれていく。娯楽場の価値が多少はあるとしても、それで生活上の基本的な必要のために欠かせないお金を失うことから家族全体がさいなまれる苦しみを正当化することは出来ない」とある。これは教会関係者がよく口にすることである。

しかし、もし賭博が強制的なものでないのであれば、ここで問題になるのは、それに参加してしまう人たち自身の道徳ではないか。もしそうだとすれば、社会において長年にわたり道徳指導者であったはずの教会の指導上の問題もあるはずである。教会が賭博に反対することはそれとして、教会の本業とより密接に関わるのは、人々一人一人へのケアであり、その人たちが生活を傾けるほどギャンブルにのめりこまないように、目を覚まさせることであろう。また、教会や市民社会がもしもっと健全な娯楽を提供できるならばどうであろうか。

ここでも教会は、本業に関する問題と、きちんと向き合いきれていないように私には思えてしまう。