2011年8月28日日曜日

CBCP司牧声明 「来る2004年選挙について」 2004年1月26日

PASTORAL STATEMENT ON THE COMING 2004 ELECTIONS

大統領、副大統領、上院、下院選を含む2004年5月の総選挙に先駆けての短いアピールである。

最初に選挙戦序盤にして既に、政治原則や政党の政策論や人々の参加を抜きにした、政治的恩顧関係や人気が先行する気分に警鐘を鳴らしたうえで、三つの挑戦を挙げる。

一つ目は投票に関する不正をいかに防ぐかである。文書はここで、選挙監視団体をする市民活動を称賛している。

二つ目は政治理解の形成(formation)とネットワークづくりである。いわゆる有権者教育(voters' education)を信徒運動が積極的に推進するよう呼びかけている。

三つ目は社会変革である。選挙過程に関わる人々が忠実に仕事をするように働きかけること、また「貧しい者たちの教会」として、特に貧しい者たちが社会変革の先頭に立つべきことが訴えられる。また政治指導者が利権配分者としてではなく公僕として仕えるよう求めている。

最後に四旬節(受難節)と絡めながら、神の啓明を求めて祈るよう呼びかけて終わる。

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選挙及び政治の改革を、制度改革によってよりは、道徳主張や市民圧力によって達成するよう呼びかける、CBCPにとっては定石の文書である。

目を引くのは(直訳だと事情を知らないとわかりにくいので補足をしながらやや意訳すると)「カトリック教会は『貧しい者たちの教会』であるから、社会変革において主導的な立場に立つのは貧しい者たちである」という主張である。しかし、実際はどうなのか。カトリック教会が自らを「貧しい者たちの教会」と規定して20年が経つが、「貧しい者たち」が本当に教会の先頭に立っているようにはとても思えない。「貧しい者たちの教会」はいわばフィリピン・カトリック教会のビジョン、理想であるが、現実が追い付いてきているようには見えない。彼ら貧しい者たちこそが「社会変革のためには、指導者たるもの、利権配分者ではなく公僕たるべきことを悟らなくてはいけない」だからそういう人に投票すべきだ、という主張に至っているが、これは利権や人気に流されやすいとされる貧困層に対する暗黙の批判ともとれる。つまり、ここでは司教たちは「無知な」貧しい人たちに「選挙教育をしている」ような側面が見える。しかし、このようなアプローチで、実際に人々は耳を傾けるのか、疑問である。