カトリック司教協議会のビリェガス議長(リンガイェン=ダグパン大司教)が、今では「乾いたカトリック」が、カトリックに次ぐ二番目の主流宗教である、と発言した、と報じられている。
*(補足7月27日)ただ、記事を読み返すと、本当にタイトルにあるように「カトリックに次ぐ2番目」と言ったのかどうかは疑問に付してもいいかもしれない。引用されているのは、どんな⁽カトリックでない⁾宗教よりも多い、という言い方である。記事を読む限り、これらの人々はカトリック内部の人たちで、ケアすべき人たちだ、という扱いである。もしそうであれば、この記事を書いた人の理解がゆがんでいるか、あるいはカトリックを殊更に少なく見せようとする悪意があるのか、であろう。とはいえ、カトリックのカラーの強いPhilippine Star紙にそういう記事が載るということ自体も興味深い。
‘Dry Catholics’ now second predominant religion in Philippines
乾いたカトリック(dry Catholics)の定義は、予想通り、教会にとって好ましくない人たちを総括した、分析性を欠くレッテルに近いものである。曰く、「冷たく、傷ついた、懐疑的な人々で、カトリック教会を去って他の宗教に加わった人々(those who are cold, hurting, skeptics and those who left the Catholic church to join other religions)」とある(補足7月27日:但し、攻撃的な意図ではなく、文脈的には不幸な仲間をどういたわり引き戻すか、という話の中にある)。そしてそれらの人たちが、カトリック以外のどんな宗教よりも多いと言う。
他宗教に移った人々が定義の中にありながら他宗教と数を比較するという基本的な矛盾は別として、それ以外に三つほどコメントしたい。
1.そもそも、こういう人たちは果たして、「カトリックに次ぐ2番目」なのか。もしかすると、定義の適用範囲では、一番なのかもしれない。カトリック教会が反対したRH法案への国民の広範な支持に対し、ビリェガス議長は厳しい発言をしてきた。だとすれば、そちらの方が数が多いのかもしれないとは考えないのだろうか。(補足7月27日:上記の通り、これはビリェガス議長の問題ではないかもしれない)
2.乾いた、と言うが、それは一方的ではないか。そういわれる人たちの中には、むしろ自分たちこそ人間的で、カトリック教会の指導者たちこそ乾いている、と考える人たちも少なくないのではないか。彼らの中には、自分たちこそカトリックを潤しているのだ、と考えている人たちも少なくないのではないだろうか。
*(補足7月27日)但し、ビリェガス議長はこれを非難しているというよりも、彼らは傷つき冷えて乾いてしまっているのだから、その痛みを癒してあげましょう、という優しいトーンではある。しかしそれもまた、一方的な決めつけではないかともいえるし、ある種のパターナリズムではないかとも考える。
3.仮にこれを受け入れるとして、それは、これらの「乾いたカトリック」の人たちを、教会が「乾いたまま」あるいは「カトリックのまま」にしたことを意味するのではないか。控えめに言って、これは教会のミニストリーに重大な問題があったことを示唆するはずのものであるが、その点に触れられていない。(補足7月27日:むしろ問題は「福音よりもカトリック信仰への反対論を知らされていたり、貧しい人たちで教会など富者のものだと思っていたり、以前はカトリックだったが幻滅して神のことなど話したくないという人たち」を作り出した状況、ということのようである)むしろこの記事でも、カトリックの既婚者たちに、教会に幻滅した人々に手を差し伸べるよう勧めている。それ自体は問題ではないが、それにとどまり、教会の指導者たちが問われるものの方が大きい、という発想ははっきりとは示されない。ビリェガス議長が考える教会の司牧というものの特徴の一端が示されているように思える。
*(補足7月27日) カトリック教会はこれまで「社会全体の世俗化の進行があり、それによって多くの人々が伝統的な信仰から疎外されている」という分析をしてきた。ここでそういう理解が継承されているかどうかは断言できないが、「乾いたカトリック」のような理解、表現はそうしたこれまで築かれてきた理解と響きあう。つまりカトリック信徒の中から「乾いた」人たちが出てくるのは世俗化の犠牲になったという理解であって、彼らの主体的な生き方とは理解されない。そもそも「福音を知らされていない人」を「カトリック」とみなし続けていること自体が、こういうカテゴリーを生んでいるようにも見える。つまりこういう人たちがいる、というよりも、教会から疎外されている様々の人々を、こういうふうにまとめてしまっている、ということだろう。しかし、これで本当に、司牧者の人々への理解は進むのだろうか。
***
ちなみに、この件に関して、カトリック司教協議会のサイトには、当日の会合についての記事はあったが、上記の点についての紹介はなかった。むしろ、キリストが示した謙卑に倣って謙遜に宣教すべきであり、雄弁さや組織能力などに頼るべきではない、と語った点が紹介されている。というわけで、今のところ十分なクロスチェックができないままだ。刺激的な題の記事に素直に乗ってしまって記事を書いたことについて、自戒したいと思うので、元の記事を残し、補足をした次第である。
Humility key to effective evangelization – CBCP president
2015年7月26日日曜日
2015年7月21日火曜日
Philippine Daily Inquirer紙の連載記事による教会への挑戦
今朝インターネットでPhilippine Daily Inquirerをチェックしていて、Denis MurphyのToo late for a ‘Church of the Poor’?に気付いた。この記事に出ている、フィリピンのカトリック教会は1991年の教会会議で「貧しい者たちの教会」になると宣言したものの、10年後の再検証会議で「うまく進んでいない」との結論を出した点については、私の研究でも折に触れて言及してきたので、タイトルからして興味を持って読んだ。
この記事を書く際に参照したというのが、バカニ司教による以下の記事である。
"CHURCH OF THE POOR": THE CHURCH IN THE PHILIPPINES' RECEPTION OF VATICAN II By Teodoro C. Bacani, Jr.
この記事はアテネオ・デ・マニラ大学内にあるEast Asian Pastoral Instituteが発行している学術雑誌に掲載されたものである。以前コピーして保存したと思うのだが、まだ読んでいなかったと思う。
もう10年前の記事であり、未読なのは恥ずかしい(のでできるだけ早く読んでおくことにしたい)が、同時に10年もたって新聞記事になることから伺われるように、この10年、教会の「貧しい者たちの教会」というアイデンティティをめぐる状況については、基本的なことはあまり変わっていない様子なのも確かである。
新聞記事の方は、新しい教皇によるきわめて積極的な社会改革へのコミットメントの方向に触発されて書かれた、ということで、今のタイミングでもあるのだろう。貧困問題に取り組む市民運動の立場から、フィリピン社会の深刻な問題の改革のために、カトリック教会、特に聖職者が、迫害や犠牲を恐れずに貧しく虐げられている人々の側に大胆に立つことを求めている。
バカニ司教の記事を引いたことのポイントとしてはふたつあると読んだ。
1)1991年の教会会議における目標が、そもそも「貧しい人々の教会」といいつつ実際には、豊かな人々が形成してきた教会に貧しい人々も参加できるようにし、両者の和解の場とする、そこで貧しい人たちが教会を自分たちの教会だ、と思えるようにする、というものだった(若干私なりの公文書の理解に基づいて説明を補った)。しかし、「貧しい人たちの教会」という時に元となるラテンアメリカの教会のモデル、あるいは解放の神学のモデルは、そのようなものではなかった(つまり、雑駁に言えば、貧しい人たちの中に入って行って、彼らの教会を建てる、ということだった)、という指摘である。つまり、目標自体に問題があった、ということである。
2)ただ、その目標であれある程度達成されれば違った結果になるかもしれない、との言及もある。目標設定の問題だけではなくて、目標が達成されていないこと自体も、著者は問題としていると読めた。
いずれも私なりに議論してきた論点に近いと思う。
これとのかかわりで、2005年以降のカトリック教会で注目されるのは、農地改革などの問題へのより深いかかわりだと思う。教会の高位聖職者が実際に抱える管理上の様々の仕事を考えれば、彼らが、以前よく用いられた言い方で言えば、「貧しい者たちの教会」ならぬ「貧しい者たちのための教会Church for the poor」としてはかなり努力している姿が見えるということは言える。
また、部分的には新教皇の影響もあるかもしれないが、司教協議会内の世代交代の進展で、かつての権威主義の残存が弱まりつつある兆しを教会関連の新聞記事や司教協議会のウェブサイトの記事などからも読み取れる。
ただ、「貧しい者たちの教会」というビジョンは、かなりラディカルなものであるし、それだけではなく、カトリック教会のヒエラルキーの構造、その資産や維持費用なども含めて考えると、かなりハードルの高いことであると考えられる。他方で、かつて解放の神学的な方向性に対する強い警戒があったのは、司教たちによる管轄権が危ぶまれるという問題(特にその問題はミンダナオで大きく、教会による左派の抑圧につながった)の他に、冷戦の文脈で共産主義の浸透という大きな課題があった。それは現在ではかつてほどではないはずだから、今一度、この高い目標に近づこうとする機会ではあるのかもしれない。注視していきたい。
この記事を書く際に参照したというのが、バカニ司教による以下の記事である。
"CHURCH OF THE POOR": THE CHURCH IN THE PHILIPPINES' RECEPTION OF VATICAN II By Teodoro C. Bacani, Jr.
この記事はアテネオ・デ・マニラ大学内にあるEast Asian Pastoral Instituteが発行している学術雑誌に掲載されたものである。以前コピーして保存したと思うのだが、まだ読んでいなかったと思う。
もう10年前の記事であり、未読なのは恥ずかしい(のでできるだけ早く読んでおくことにしたい)が、同時に10年もたって新聞記事になることから伺われるように、この10年、教会の「貧しい者たちの教会」というアイデンティティをめぐる状況については、基本的なことはあまり変わっていない様子なのも確かである。
新聞記事の方は、新しい教皇によるきわめて積極的な社会改革へのコミットメントの方向に触発されて書かれた、ということで、今のタイミングでもあるのだろう。貧困問題に取り組む市民運動の立場から、フィリピン社会の深刻な問題の改革のために、カトリック教会、特に聖職者が、迫害や犠牲を恐れずに貧しく虐げられている人々の側に大胆に立つことを求めている。
バカニ司教の記事を引いたことのポイントとしてはふたつあると読んだ。
1)1991年の教会会議における目標が、そもそも「貧しい人々の教会」といいつつ実際には、豊かな人々が形成してきた教会に貧しい人々も参加できるようにし、両者の和解の場とする、そこで貧しい人たちが教会を自分たちの教会だ、と思えるようにする、というものだった(若干私なりの公文書の理解に基づいて説明を補った)。しかし、「貧しい人たちの教会」という時に元となるラテンアメリカの教会のモデル、あるいは解放の神学のモデルは、そのようなものではなかった(つまり、雑駁に言えば、貧しい人たちの中に入って行って、彼らの教会を建てる、ということだった)、という指摘である。つまり、目標自体に問題があった、ということである。
2)ただ、その目標であれある程度達成されれば違った結果になるかもしれない、との言及もある。目標設定の問題だけではなくて、目標が達成されていないこと自体も、著者は問題としていると読めた。
いずれも私なりに議論してきた論点に近いと思う。
これとのかかわりで、2005年以降のカトリック教会で注目されるのは、農地改革などの問題へのより深いかかわりだと思う。教会の高位聖職者が実際に抱える管理上の様々の仕事を考えれば、彼らが、以前よく用いられた言い方で言えば、「貧しい者たちの教会」ならぬ「貧しい者たちのための教会Church for the poor」としてはかなり努力している姿が見えるということは言える。
また、部分的には新教皇の影響もあるかもしれないが、司教協議会内の世代交代の進展で、かつての権威主義の残存が弱まりつつある兆しを教会関連の新聞記事や司教協議会のウェブサイトの記事などからも読み取れる。
ただ、「貧しい者たちの教会」というビジョンは、かなりラディカルなものであるし、それだけではなく、カトリック教会のヒエラルキーの構造、その資産や維持費用なども含めて考えると、かなりハードルの高いことであると考えられる。他方で、かつて解放の神学的な方向性に対する強い警戒があったのは、司教たちによる管轄権が危ぶまれるという問題(特にその問題はミンダナオで大きく、教会による左派の抑圧につながった)の他に、冷戦の文脈で共産主義の浸透という大きな課題があった。それは現在ではかつてほどではないはずだから、今一度、この高い目標に近づこうとする機会ではあるのかもしれない。注視していきたい。
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