2012年4月11日水曜日

CBCP司牧声明 「平和、一致と刷新についての声明(第89回CBCP総会)」 2004年7月10-11日

STATEMENT ON PEACE, UNITY AND RENEWAL; CBCP 89TH PLENARY ASSEMBLY, Pius XII Center, Manila, July 10-11, 2004

カトリック司教協議会総会後の声明で、主に2004年5月に実施された総選挙に関する講評である。

総会において、司教たちから担当教区の情報をもとに選挙の講評を受け取ったところ、選挙においてさまざまの違法行為や不正の事例が挙げられたとした上で、、それでも総じてはおおむね国民の意思を反映した結果となった、としている。
 
不正についての報告が多いこともあるため、CBCPの常設委員会は上ってきた報告を集め、現状の理解と今後の特に消極レベルにおける選挙に関連した対応策づくりに資するべく分析を行うとした。ただ、包括的な調査や不正に対する法的な対応までは教会の力量を超えるため、司法等のしかるべき機関に期待する、としている。
 
選挙が終わった今、むしろ社会変革、国の刷新のためにさまざまの取り組みを前進させる時である、とする。
 
最後に、そのために司教団は8月15日(聖母被昇天の祝日)の「平和、国民的一致、刷新のための祈りの日」の呼びかけをし、聖体年、聖母マリア年の記念と併せ「聖母マリアとともに聖体を祝う」の標語を確認している。従来の司牧声明を踏襲した、記念日のイベントを絡め、聖母マリア(イエス・キリストよりも頻繁なのが興味深い)の祝福を願う締めの文章である。
 
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8年近くが経過した今読んでみて、やはり何とも言いようのない感慨がある。2004年の選挙は俳優出身のフェルナンド・ポー・ジュニア(FPJ)が善戦し、そもそも彼が職に堪えるのかが問題になっていたため、FPJではだめだ、という人たちがFPJに対抗できる唯一の候補である現職のマカパガル=アロヨ(GMA)に投票すべきなのかどうかを巡り、私のかかわりの深いプロテスタント福音派(ボーンアゲイン)の中でも激論がたたかわされたと聞いている。特にボーンアゲインの牧師でフィリピン福音主義教会会議(PCEC)のメンバーでもあるエディ・ビリャヌエバが大統領候補として立候補したことが状況を複雑にしていた。福音派はいわゆる中流以上の社会層が多く、反FPJゆえに(少なからず仕方なく)GMAか、夢を求めてブラザー・エディか、というような話になっていたと聞く。
 
そういう中でのこの文書にも挙げられている7月早々の「選挙結果はおおむね人々の意思を反映している」宣言は、教会が早期に大統領をGMAと認めて幕引きを図ったのではないか、などとマスメディアでも論評されていた。FPJは、教会が辞任を求め、結局追い落とされるような形となったエストラーダ元大統領に近いこともあり、また教会が政治家は実力や実績がないといけない、というポリシーを打ち出しているのが(それは妥当ではあるともいえるが)ちょうどGMAの対FPJの宣伝戦略として、自分はプロでFPJは素人だ、というのと重なっていたこともある。
 
結局翌年にはGMAと選挙管理委員長との不透明な関係が表ざたとなったいわゆる「ハロー・ガルシ」事件以降、すでに教会関係者も含め各方面で観察されていたさまざまの選挙不正は、無視できるような性格のものではなかったのではないか、ということになっていく。
 
私が知る限り、教会が声明等を通じて、特に強い政治的意図をもって印象操作をしようとした、というような悪意があったとは考えにくい。そうしたことがまことしやかに語られているが、私はそれを裏付けるものを知らないし、教会というものの基盤はそういうものとはやや別のところにあるのではないかと思う。この後の時期になると、GMAが教会対策として積極的に教会の慈善事業等に資金を配分していたことが明らかとなってはくるが、それはむしろGMAの側の発意ではないかとも思うし、「ハロー・ガルシ」以前はその手のことが話題になることはなかったわけではないが、別にGMAでなくても同様の対応をしてくれるかもしれないともいえるから、教会が財政的な理由でGMA当選の信用を高めようとしたとは考えにくい。
 
むしろ教会指導者は、フィリピン社会における教会の構造的な政治性を一定程度理解しつつも、そことずれたところで、つまり政局にあまり配慮しない教会指導者としての司牧的な議論を展開してしまっているのではないか。だから、2005年に不明を恥じることになってしまう(が謝罪はしていないので、「ハロー・ガルシ」を踏まえて2004年の声明の結論を恥ずかしいと思ったわけではないのかもしれないが)。
 
まあ、選挙結果が集計されるのに時間がかかりすぎて、政治的空白を許さないところに来ていたことも否定できなかったとも思う。あの時FPJじゃ破綻だ、ならいっそGMAがいい、と念じてしまった私自身、不明を恥じるべきなのかもしれない。

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