2010年11月17日水曜日

CBCP司牧書簡「憲法改正に関する司教協議会の宣言」2003年7月7日

CBCP STATEMENT ON CHARTER CHANGE


憲法改正の動きに対する慎重論である。すでにざっと読んだので、今回は逐一要約せず、論点をざっとまとめ、論評したい。

憲法改正の動きの背後にあるものとして、

建前上は、
・大統領制から議院内閣制へ
・中央集権制から連邦制へ
への移行が政治改革として緊急であり効果的である、という議論になっている、と整理する。

これに対し、いくつかの問題点を挙げる。
・憲法は国の成り立ちの中核であり、特に民主化政変を経て制定された現憲法の改正にはそもそも慎重を期する。現状の急がせようとする論調には同調できない。
・国会をそのまま憲法制定議会(Constituent Assembly)として改正に進もうとするのは拙速である。憲法改正の是非を2004年総選挙の際にまず国民に問い、これを踏まえて憲法制定会議(Constitutional Convention)を開くべきである(ここに明示はないが、これは国会議員とは別に改めて選挙で選ばれるべきものと一般に考えられている)。
・憲法における大統領や国会議員、地方の知事や議員には任期の制限が課されているが、憲法改正の際にこれを除去してしまいたい、という隠れた思惑があるのであれば言語道断である。総選挙が近い時期の拙速な対応では、こうした疑いが晴れない。

その上で、憲法の改正を検討する際に考えておくべき論点を列挙している。
・政治が貧しい庶民をケアする能力を高める効果があるか(累進課税が例として挙げられている)
・政治参加が促進されることで、名望政治エリート家系の終焉と利益誘導型政治の克服に至るか
・公務員の説明責任性(透明性)を高める具体的な方策があるか
・グローバル化の時代の中でフィリピンの資源の開発を外国籍の企業が保有出来るようにすることを認める場合は、それが雇用、企業活動の機会の拡大など、フィリピンの人々の益となるかどうか
・権力の分散(脱中央化)による市民社会グループの統治へのより積極的な参加につながるか
・貧しい人々を代表しつつ効果的な政策策定の出来る政党の形成につながるか
・投票行動が変化し、人々がこれまでのように人気ら利益誘導やらによらず、政策や実績に基づいて
投票するようになるか
・多数派の支持する明瞭な政策による指導者たちが選ばれるようになるか

とにかく、まず憲法改正の是非を問う田植えで、じっくり話し合いをすべきである、というころである。

***

確かに一理ある、という面もある。政治過程に対する批判はおおよそ的確ではないかと思う。つまり、政治家たちの本音はおおよそこの文書にあるようなところにあるだろうし、司教たちが指摘するような論点がどこまでまじめに取り組まれてきたか、また取り組まれそうなのかは疑問でもある。

と同時に、二つ気になることがある。

ひとつは、「論ずべきこと」として列挙されていることが、憲法改正の目標としても、現状の改革に関する議論としても、現実的に言って高すぎるのではないか、ということである。高い目標を持つこと自体は、特に教会のような理想を語る組織にとっては、それほど問題ではないだろう。しかし、そうは言っても、この文書も憲法改正が俎上に上っている中では、政策論としての実際性がないと意義が薄れてしまう。フィリピンの政治過程、選挙、正当、経済格差などは、長年の間、繰り返し改革が叫ばれつつも、どうにも決定的な改善が見られなかった問題である。それらを解決することは至難の業であり、まして、憲法を改正することで自体が改善するならそんな簡単なことはあるまい。すでに現行の1987年憲法は高い理想にあふれた憲法である。そもそもほとんどの問題は法が制定されたところで、これをどう履行するかというレベルで起こってきた。

もうひとつは、一見逆のことのようであるが、改革に向けた緊迫感、緊急性の感覚の欠如である。「じっくりやる」というのは聞こえは良いが、要は急がなくてもよいのでは、ということでもある。上記の改革が憲法改正で成し遂げられるのかどうかを論じるかどうかと別に、これらの論点は、いずれも長年の難問であり、重要課題である。どうにかしないといけないのがどうにもならぬまま来てしまっている。憲法の改正が慎重を要するとしても、政治社会改革そのものは緊急の課題として一生懸命取り組んでもなかなか難しい。教会がこのことを否定しているわけではないのは分かっているつもりだが、これらの論点が何よりも憲法改正の正当性の吟味の根拠として出される、という語りの展開自体が示唆するものがあると思う。

もし本気なら、昨今の政治に何が緊要であるかを先に明示したであろうし、短い論評の中ではあれ、多少なりとも憲法改正以外に何をすべきかも併せて論じることが出来たはずである。高い目標を掲げながら、のんびり論じるよう進めるところには、(最近ワンパターンで申し訳ないが)結果的に現状維持的なとまでは言わなくとも(今回も心情的にはそういいたいくらいだが、それは公平を欠くのかもしれないと自重する)、変革に力を貸さない言葉になってしまっているといえよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿