In the Heart of Jesus: Healing Our Land, Renewing Our Lives
この文書については、要理的な要素が中心であるが、ここではそのことについては簡単に抑えつつ、特に教会・社会観関係との関わりを中心に見ていきたい。
章構成は次のとおり。
・序国難に際して、第一にイエスの聖心にささげる「9回の第一金曜日」とそのあとの聖マリア年のプロジェクトを含め霊的な刷新、悔悟と祈りを取り上げ、これに当たろうという決意を表明する。
・「イエスの聖心」をたたえる「9回の第一金曜日」(の祝い)
イエスの聖心に対するフィリピン国内の熱意、関連行事の成果を挙げ、2003年9月7日から翌年7月2日まで第一金曜日にイエスの聖心のための典礼に積極的に参加しようと呼びかける。この機会にミサや聖体礼拝(holy hour)に参加し、聖体を受け、和解の秘跡(つまりいわゆる懺悔)を受けるよう勧めている。
またミサや聖体礼拝の中で要理的な教育(catechesis)として、このための短い説教や黙想談話を行うことで、イエスの聖心への信心の意味をより深く理解するよう支援すべきとしている。
この信心を教会のみならずあらゆるところで行うよう勧めた上で、以下のように主張する。「私たちの国をより真実に人間らしく、本当に正しく助け合いのある社会として、つまり正統な愛の文明を生きるフィリピン国民として立て上げようとする取り組みにおいて、イエスの聖心は聖霊からの光とエネルギーの尽きることのない源となりうる。」
今回は、特に以下の2つを目標とする。
1)司祭たちの聖化
司祭たちの過ちや犯罪(特に性犯罪)が多く報じられる中で、特に深刻な問題として挙げられている。
2)キリスト教徒の生活の刷新
フィリピン社会全般、特に政府とあらゆる公的な生活領域における改革の必要を挙げる。生活のイエスの聖心への聖別により、国民の希求と努力が変化への願いとなり、断固たる勇敢な行動への動機付けとなることを願っている。
・プログラム:C(回心)-O(生活(人生)を捧げる)-R(償い)
C-O-Rは、1985年のマリア2000年記念の際にCBCPが提起したモットーであると説明し、この枠組みで今回も実施することを確認している。
・イエスの聖心への聖別
・家庭の聖別
・国全体の聖別
・マリア年
2004年はピウス9世教皇による「無原罪懐胎」の教義の制定150周年、及びフィリピンの最初の聖マリア年の祝祭の50周年であることが確認されている。
・結論
積極的な準備と参加を呼びかけ、神の祝福を祈って終わる。
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政治・社会の刷新に際し、ある種の精神主義が掲げられているとともに、教会が国全体を聖別して捧げてしまうというような国教会的ないしキリスト教世界(Christendom)的な発想に彩られている。
この表現は、おそらく多くの人々に、さほど違和感なく聞き流されているだろうが、発想自体は、熱心なカトリック信心の持ち主だけが共有するものであろうと思う。
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ちなみに、「イエスの聖心」(あるいはイエスのみこころ)信心については、たとえば
イエスの聖心の月
にある。ある修道女が見たイエスの心臓の幻(出現)に基づくという。この際、9ヶ月続けての第1金曜日の聖体拝領うんぬんということも幻で示された、ということだそうだ。プロテスタントの私にはわけが分からないが、カトリックでは、イエスをただ信じるだけでなく、心臓はまた心臓として、特別な仕方で信心する、ということになるのだろうか。
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