2010年4月2日金曜日

PRIMER ON NEW AGE; January 08, 2003

「ニューエイジ」の霊性について取り組んだ「手引き」である。リンクは以下の通り

CBCP Documents - PRIMER ON NEW AGE

この文書はかなり大部なものではあるが、私の現在の研究上の関心と今一つ結びつかないものでもあるので、今回は要点の紹介と少しのコメントにとどめる。

この手引きは、「ニューエイジ」と呼ばれる諸宗教と科学、瞑想とエコロジーなどを独自の仕方で統合することを目指す世界的な宗教運動について、これが教会の内外に浸透してきていることについて警告する立場から整理し、解説し、指導することを目指したものである。

ただ、正直なところ、既にずいぶんと長期にわたり存在するこの運動について、この時期にこれが出てくる必然性についてもまた調べられていないし、この運動についてまだよく理解していないので、書けることは少ない。勉強の必要を感じる。直感的には、ニューエイジはこの文書に指摘されているとおり中間層、富裕層への影響が大きいと思われるので、教会のアイデンティティや関心がこうした層に向けられている、ということはできるのかもしれない。

また、この文書にもあるとおり、ニューエイジに対する警戒は、基本的には「キリスト教国」の霊性を「内側から侵食」するという見方から来ている点は確認してよいと思われる。これは一時期アメリカのキリスト教保守派で流行したニューエイジ警戒論と似ているようにも思える。つまり、キリスト教のヘゲモニーが確立している場所で、これを危うくするものへの警戒である。

しかし、信教の自由が保障されている社会において、また教会教育や司牧が行き届いていない教会の現状を踏まえるとき、さまざまな宗教運動や思想が入り込んでくるのはいわば必然であり、警告したところで何も起こらないように思える。この文書のように、カトリックから見てこの思想がどうだこうだ、と評価するだけでは、人々に届くことはない。そのことの是非は見方によるであろうが、教会がその固有の活動における人々へのコミットメントがないまま、既存の勢力範囲を保持しようとするというその姿勢は、やはり政治・社会的保守主義と連結するものであろうと思われる。それは、教会が大事だと言っている「貧しい人々」の現状をも、結局固定する方向に有利に働いてしまうのではないか、と勘繰ってしまう。

またいずれ折りを得て考察しなおさなくては、と思いますが、今は研究の主題をフィリピン社会との関わりに置いているので、この話題は今回はこれくらいにして次に進みます。

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