2015年7月12日日曜日

CBCP司牧声明「『尊い賜物を固守せよ』 人口抑制法制と『Ligtas Buntis』計画に関する司牧書簡」2005年2月18日

“HOLD ON TO YOUR PRECIOUS GIFT” A Pastoral Letter on Population Control Legislation and the “Ligtas Buntis” Program

学会発表のために公文書は読み進めていたものの、このブログを用いた丁寧なフォローの試みはこの数年完全に中断していたことを反省したい。ただ、怪我の功名というか、さまざまの修正受けた上でとはいえリプロダクティブヘルスに関する法律が成立したことを踏まえて振り返るような形でテキストを読み直せるのは、それはそれで意義のあることだとも思われる。

このテキストは、下院の当該委員会においてリプロダクティブヘルス法案が可決されたことを踏まえて、この法案の不当性を訴え、政治家をはじめとするこの政策に賛同すると思われる人々に、それはカトリックの教えに反する重大な違反であると強く警告する、そしてそのことで法案の成立を阻止することを目指す活動の一環とするものとまとめられるだろう。

フィリピンのカトリック司教たちの表明してきた教理的、及び政治的な立場はほぼ一貫して明瞭である。ただ、2000年代には、法案に賛同、期待する人々への具体的な、読む人によっては恫喝にも思えるような(賛成するものはもはや信仰はないとみなされる、重大な結果がもたらされる、というような)警告が繰り返される。多数派性に支えられてきた教会にとって、教会の指導に従わない人たちへの対応はジレンマを伴うが、この点での寛容性が弱まってきたことの表れとも見える態度表明の頻発は、いくつかの観点から検討される必要があると思われる。

1)教会改革の方向性として、人々の信心のあり方を、教会が定めた枠にはめようとする傾向の強化を、この問題にもあてはめようとする志向。これは1980年代末以降継続する、要理教育の強化、及び信心行に対する頻繁な介入などに明らかにあらわされている。

2)人々のリプロダクティブヘルス政策への期待の高まりと反対の減退を実感し、切迫感をもって強い対応をする方向性。これは実証的な裏付けが必要かもしれないが、状況証拠的には世論調査やフィールド調査報告などによってかなり支えることができそうである。

3)1)、2)と関連し、いずれにせよ人々を上から導くに際し、教会の構造を用いて動員をかけるには人員数が圧倒的に足りないので、政治問題、政策問題を殊更に大きくすることで、報道を通じて人々に声を広く届けさせ、圧力をかけようとする方向性。但しこれについては、インターネットの時代における教会の多様な発信は、以前よりは多くの人たちに潜在的には届きやすくなっているように思えるので、この点の重要度はもう少し吟味が必要かもしれない。

***

ここで一度、この文書でも明らかにされているカトリック教会のリプロダクティブヘルス政策への基本姿勢について、少し整理することを試みたい。

いわゆるリプロダクティブヘルス政策は、

1)家族計画支援活動や性教育を、
2)公費の支出を絡めて、
3)学校や医療機関や関連セミナーなどにおいて、
4)特に医療従事者や保健関係者によって実施することで、
5)人々の性と生殖に関する情報を提供し、自己決定を高め、人口の抑制にもつなげていく、

というふうにとりあえず仮にまとめてよいかと思う(もう少し厳密な書き方もあるのかもしれないが、教会の文書を分析する目的としては、とりあえずまあこのくらいでいいかと思う)。

この文書を読むと、他の文書でも繰り返される問題の立て方が見えてくる。

1)家族計画や性教育については教会が承認するものもあるが、フィリピンの司教協議会の文書ではごく控えめにしか触れられないこと(この文書では全く言及がない)

2)この法制に問題ありとする立場から、公費の支出は不適切である(甚だしい場合にはこれは公金の不正使用という汚職である、とまで言う)

3)学校については、生徒ら未成年への性教育は親の専権事項(親による承認がある時だけ教育可能)であるとするし、医療機関に関しては実質上家族計画を、教会が殺人の一種とする中絶と等しいとみなして医療機関の基本倫理に反するものと主張する。

4)実施主体に関して、彼らの信仰上の自由を保障すべきと主張する半面、カトリックの信徒に対しては、信仰上の立場(しかし遠まわしに言われていることを詰めて考えれば、結局は教会の命じるところ)に縛られなければならないことが主張され、結果として政策として一律に勧められてはならないもの、また医療従事者がいやしくもカトリックであるならば、決して従ってはならないものとして、教会の権威の名をもって圧力をかける言い回しになる。

5)政策効果については、こうした政策をマルサス的とレッテルを張り、リプロダクティブヘルス政策が貧困を減らす鍵だ、というふうに矮小化し(実際にはリプロダクティブヘルス政策は多様な政策アイテムの一つであって、万能薬たることを主張してはいないからその点を批判するのは公平とは思えない)、そのような効果は学問的にも反証されている、とする。しかし、ここでは、いかに人々が制についての知識を得、望まない妊娠を回避するか、多産によってしばしばもたらされてきた家庭生活へのひずみ(特に母親に傾斜する負担や子供の将来)をどうすべきかについて、具体的な提言が提示されない。

恐らく、この教会のスタンスが支持を失い、最終的に法案がアキノ政権期に大幅な妥協を重ねながらも可決に至った要因の一部として、青年や夫婦が現実に直面する生々しい問いや課題と響きあう形で提言を作り出せなかったことにあるのではないかと思う。この点について自覚的に発言してきたのは主に信徒運動であり、加えてイエズス会などの少数の聖職者であった。そもそも教会自身が作り出してきた避妊法や性教育のプログラムは、ごく一部を除いて積極的に進められてこなかったようである。

人々の実際的な信仰的応答がどのようなものか、あるいはリプロダクティブヘルスに関する立場がどういう広がりを持っているのかは、それ自体できちんと研究する余地があるだろう。ただ、それを置いたとしても、そもそも現場の緊急な問いがあるのに、反対論だけで対案を積極的に提示できないものに、積極的な賛同が広がる余地は少ないだろう。

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