2015年7月21日火曜日

Philippine Daily Inquirer紙の連載記事による教会への挑戦

今朝インターネットでPhilippine Daily Inquirerをチェックしていて、Denis MurphyのToo late for a ‘Church of the Poor’?に気付いた。この記事に出ている、フィリピンのカトリック教会は1991年の教会会議で「貧しい者たちの教会」になると宣言したものの、10年後の再検証会議で「うまく進んでいない」との結論を出した点については、私の研究でも折に触れて言及してきたので、タイトルからして興味を持って読んだ。

この記事を書く際に参照したというのが、バカニ司教による以下の記事である。
"CHURCH OF THE POOR": THE CHURCH IN THE PHILIPPINES' RECEPTION OF VATICAN II By Teodoro C. Bacani, Jr.
この記事はアテネオ・デ・マニラ大学内にあるEast Asian Pastoral Instituteが発行している学術雑誌に掲載されたものである。以前コピーして保存したと思うのだが、まだ読んでいなかったと思う。

もう10年前の記事であり、未読なのは恥ずかしい(のでできるだけ早く読んでおくことにしたい)が、同時に10年もたって新聞記事になることから伺われるように、この10年、教会の「貧しい者たちの教会」というアイデンティティをめぐる状況については、基本的なことはあまり変わっていない様子なのも確かである。

新聞記事の方は、新しい教皇によるきわめて積極的な社会改革へのコミットメントの方向に触発されて書かれた、ということで、今のタイミングでもあるのだろう。貧困問題に取り組む市民運動の立場から、フィリピン社会の深刻な問題の改革のために、カトリック教会、特に聖職者が、迫害や犠牲を恐れずに貧しく虐げられている人々の側に大胆に立つことを求めている。

バカニ司教の記事を引いたことのポイントとしてはふたつあると読んだ。

1)1991年の教会会議における目標が、そもそも「貧しい人々の教会」といいつつ実際には、豊かな人々が形成してきた教会に貧しい人々も参加できるようにし、両者の和解の場とする、そこで貧しい人たちが教会を自分たちの教会だ、と思えるようにする、というものだった(若干私なりの公文書の理解に基づいて説明を補った)。しかし、「貧しい人たちの教会」という時に元となるラテンアメリカの教会のモデル、あるいは解放の神学のモデルは、そのようなものではなかった(つまり、雑駁に言えば、貧しい人たちの中に入って行って、彼らの教会を建てる、ということだった)、という指摘である。つまり、目標自体に問題があった、ということである。

2)ただ、その目標であれある程度達成されれば違った結果になるかもしれない、との言及もある。目標設定の問題だけではなくて、目標が達成されていないこと自体も、著者は問題としていると読めた。

いずれも私なりに議論してきた論点に近いと思う。

これとのかかわりで、2005年以降のカトリック教会で注目されるのは、農地改革などの問題へのより深いかかわりだと思う。教会の高位聖職者が実際に抱える管理上の様々の仕事を考えれば、彼らが、以前よく用いられた言い方で言えば、「貧しい者たちの教会」ならぬ「貧しい者たちのための教会Church for the poor」としてはかなり努力している姿が見えるということは言える。

また、部分的には新教皇の影響もあるかもしれないが、司教協議会内の世代交代の進展で、かつての権威主義の残存が弱まりつつある兆しを教会関連の新聞記事や司教協議会のウェブサイトの記事などからも読み取れる。

ただ、「貧しい者たちの教会」というビジョンは、かなりラディカルなものであるし、それだけではなく、カトリック教会のヒエラルキーの構造、その資産や維持費用なども含めて考えると、かなりハードルの高いことであると考えられる。他方で、かつて解放の神学的な方向性に対する強い警戒があったのは、司教たちによる管轄権が危ぶまれるという問題(特にその問題はミンダナオで大きく、教会による左派の抑圧につながった)の他に、冷戦の文脈で共産主義の浸透という大きな課題があった。それは現在ではかつてほどではないはずだから、今一度、この高い目標に近づこうとする機会ではあるのかもしれない。注視していきたい。

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